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◇◇ 2021年6月 6日(日) ◇◇

「あの日から30年」

 1991年6月3日、長崎雲仙・普賢岳が爆発し、大火砕流により、甚大な被害が発生しました。
 私はその日、黒髪の女性センター(現 ハーモニー)の裏出口でセンター長のHさんと立ち話をしていました。 ちなみに、その頃は、松葉杖を利用していました。
 その日は小雨が降っていました。話し込んでいると、Hさんが差し掛けていた白いビニール傘に灰色の雨が降り始め、 みるみるうちに白い雨傘は灰色に変わってしまいました。 お互いに「何だろう? 何だろう」と空を見上げた事を鮮明に覚えています。 その後、TVニュースで、雲仙の普賢岳が、数百年ぶりに爆発し、 噴き出た火砕流に飲み込まれた人たちの尊い命が失われ、住宅も飲み込まれた、と報じていました。
 そのニュースを聞いて、白いビニールの雨傘が灰色になった理由がすぐに分かりました。
 普賢岳の爆発で溶岩と一緒に噴き出された火山灰が、対岸の熊本市に風で運ばれ、 雨と一緒に傘に降り積もったのです。“ そうだったのか!” と、驚きとともにはっきりと理解できました。

 その年の1ヶ月余り前の4月には統一地方選挙で、熊本市議会議員選挙が施行された年でした。
「車いすを市議会へ」のスローガンを掲げ、熊本市の選挙史上初めて、車いすの仲間の友村年孝さんが立候補しました。 私は、前の年の10月頃から、選挙の事務局長として関わっていました。

 結果は、4百票ほど足りず残念な結果に終わりましたが、その時の友村さんの挑戦が無かったら、 今の議員としての私は絶対になかった、と確信しています。

 「普賢岳の火砕流から30年」というニュースを見て、私は30年前にタイムスリップした様に、 当時の自分の様々な状況まで、鮮明に思い出した1日でした。